妙義神社



 境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれており、これらは明暦から元禄年間に長清法印により

基盤が造られたのち、宝暦年問から安永年間にかけて大造営が行われて

さらに整備されたものである。

参道は県道に面した一の鳥居(昭和四十九年)から御本社のある神域まで、

ほぼ一直線に延びている。

鳥居をくぐり急坂を上り詰めると総門(安永二年・重文)がある。

その先の石段を上がった右手側は、明治期以前に石塔寺がおかれていた旧寺域で、

現在は社務所(建立年代不詳・市文)と御殿(嘉永六年・市文)が置かれている。

石段を上がると、旧寺域と同じ高さに銅鳥居(享保四年・県重文)がある。

これをくぐった右手奥には旧御本社の波己曾社

(明暦二年・県重文、昭和四十四年に上部神域より現在地に移築)が鎮座する。

銅鳥居から参道を進んで石造の太鼓橋を渡ると、

上部神域へと一直線に延びる百六十五段の石段がある。

これを登り切った神域の入り口に随神門(明暦頃・県重文)があり、

北側に袖廻廊(明暦頃・県重文)を連ねる。

随神門をくぐると正面に神域上段部の石垣(延享元年・県重文)が現れる。

ここで参道を左にいったん鈎の手に折れ進むと右手に石段がある。

これを上ると神域上段部の入り口となる唐門(宝暦六年・重文)がある。

唐門の南北石垣上には袖塀が廻され、南側は神楽拝見殿が接続する。

南北面にはそれぞれ南門・北門が設けられる。

唐門をくぐった正面には拝殿、幣殿、本殿からなる御本社(宝暦六年・重文)が鎮座する。

御本社拝殿北 側には神餞所(宝暦六年・重文附)が附属する。

境内の形成『由来記』によると明暦二年から元禄年間までに旧御本社の波己曾社殿のほか、

力神門、随神門、廻廊(袖廻廊)、神楽殿、神楽施主小屋、 護摩堂、御供所、天狗堂など

諸建物が建立されている。

また、参道石段脇石に 宝永の年号が確認されていることから、

この時期には上部神域随神門レベルの造成と参道の整備、および

下部寺域の基本的な地盤が造成されたと考えられる。

以後、百年を経ないうちに豪華な装飾が施された現御本社に建て直されている。


妙義神社 本殿

妙義神社配置図(文化財を中心に)

★上記の黄色の町指定は、現在は富岡市指定になっています





国指定重要文化財

妙義神社本殿・幣殿(へいでん)・拝殿、唐門(からもん)、総門 附 神餞所(しんせんじょ)、

透塀(すきべい)、棟札(むなふだ) 、銘札(めいふだ)、旧屋根銅瓦(どうがわら)

(所在地:妙義町妙義3 所有者:妙義神社)



紙本著色地蔵菩薩霊験記 (しほんちゃくしょくじぞうぼさつれいげんき)


(所在地:東京都台東区上野公園東京国立博物館(寄託) 所有者:妙義神社)


長さ537.7p、幅36.5pの巻物になっており、巻頭には「仏界巻物土佐将監筆(「安」の朱印)」

と記された小さい短冊形の鑑定の証明札(極札)が張り付けられています。







■■■ 妙義神社本殿・幣殿(へいでん)・拝殿 ■■■

本殿、幣殿、拝殿は代表的な権現造りである。

本殿は、拝殿と共に黒漆塗銅茸入母屋造りであり、拝殿は正面に千鳥破風をおき、

その前に唐破風の向拝屋根を張り出している。宝暦六年(1756)の建造である。

唐門は妻を唐破風にした銅茸平入りの門で、

これらの建物の周囲は彫刻でもって埋められ、そのすばらしさは著名である。

宝暦六年(1756)の建造である。







妙義神社の建造物には、多くのすばらしい彫刻が各所にみられる。

特に本殿の板壁部、欄間、暮股内、小天井、柱頭。拝殿では向拝部との

つなぎの海老虹梁に手のこんだ龍が見られるほか欄間、暮股内、脇障子。

唐門では松に鳳風、松に雉の透彫、菊花葉の籠彫などがあり、

ここにあげた拝殿の龍には上り龍と下り龍が対をなしている。

また、鶴の彫刻、鷹ととんび、脇障子の竹林に七賢人、向拝の柱の根巻金具の彫刻等、

何れも拝殿のもので、繊細或いは雄渾な技術は日光東照宮の彫刻師が

ここに来て彫りあげたと伝えられるようにその優美さをほこっている。


註 竹林七賢人

中国の晋の時代、世の中のわずらわしさを避けて、

隠者七人が竹林に集まり、清談にふけった故事を云う。






竹林七賢人










■■■ 唐門(からもん)  ■■■
唐門は妻を唐破風にした銅茸平入りの門で、これらの建物の周囲は彫刻でもって埋められ、

そのすばらしさは著名である。宝暦六年(1756)の建造である。





唐門からの眺望



■■■ 総門 ■■■

三間二間単層切妻道のその比なき大規模な門で、もとは白雲山石塔寺の仁王門であった。

安永二年(1773)の建造である。門前のしだれ桜は、春の社を一層ひきたてている。





 




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紙本著色地蔵菩薩霊験記
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(しほんちゃくしょくじぞうぼさつれいげんき)

平安時代から末法思想が流行し、地蔵菩薩の信仰が盛になって、

その霊験あらたかな物語絵巻が画かれる様にな った。

わが国に現存する中国の地蔵霊験の物語絵としては、最も古い貴重なもので、

鎌倉時代の作品である。

昭和三 十四年六月二十七日国指定重要文化財となっ た逸品である。


 

 

太鼓橋と

百六十五段の

参道石段



上の画像は現在

下の画像は、

左側の杉並木があった頃のもの。

倒木危険回避の為

伐採された。

 

NHK大河ドラマ「義経」で、

牛若丸が預けられる鞍馬山の

撮影が行われた場所と

しても有名になった。



群馬県指定重要文化財


波己曽社社殿(旧妙義神社社殿) 随神門 袖廻廊 銅鳥居 石垣

(昭和43年5月4日指定)






■■■ 波己曽社社殿(旧妙義神社社殿) ■■■

本殿、幣殿、拝殿からなり、旧本社と言伝えられ、明暦二年(1656)の建造と考えられる。

最近まで本殿は波己曽社に、拝殿は神楽殿になっていて、

幣殿は失われていたが、先年新材を補足して移築大修理、建立当初の姿に復原された。


















■■■ 随神門 ■■■







■■■ 銅鳥居 ■■■

歴史と信仰を語る青銅の大鳥居(県重要文化財)と燈籠

老杉がうっそうと茂る広い境内に、古色蒼然たる青銅の大鳥居と燈籠がある。

鳥居の神額裏には、「寛文人戊申年(1668)十二月吉日、

前天台座主二品親王良尚書之」とある。

下の写真は大鳥居の最下部の装飾。






■■■ 石垣 ■■■
 

高さ十メートルの石垣は江戸時代半ば妙義山に産する安山岩を用いて築かれたもので、

技工の巧みなることで著名である。





富岡市指定重要文化財

南・東・北社務所 及び 御殿

(平成元年3月25日指定)



青銅製燈籠 附 妙義大権現御神燈奉納寄附連名帳


(平成5年10月25日指定)




■■■ 御殿 ■■■

見事な十メートルの石垣の上にあり、俗に宮様御殿といわれ、

嘉永五年(1852)に再建されたものである。

ここは寛永十三年から江戸東叡山寛永寺の座主輪王寺宮の隠居所となり、

御登山の折りには、この御殿に宿る。

下の動画はその内部上段の間であり、この庭は関東まれにみる借景庭園で、

東面の景色はすばらしいものである。




妙義神社 御殿 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」楫取素彦の避暑地

明治天皇第10皇女貞宮の御養育主任となった楫取は数え2歳の貞宮とともに、

明治31年の夏を妙義神社のこの御殿で過ごしました。






■■■ 青銅製燈籠 ■■■


歴史と信仰を語る青銅の大鳥居(県重要文化財)と燈籠老杉がうっそうと茂る広い境内に、

古色蒼然たる青銅の大鳥居と燈籠がある。

燈籠には、「奉献永代御神燈、元治紀元甲子(1864)六月、諸国、糸繭商人、諸商人、

養蚕人、一連」とあり、県内は勿論、山本山海苔店、野沢屋等江戸横浜の老舗多数が

 名を連ね、総〆二百十五人、外に活国廣東より活国人八人の名も刻まれている。